ぐるっとで八合神社の由来を
今日2018年12月8日、ぐるっと地域巡り作戦が実施されました。青少年育成連大石会議の主催で、大石中と大石南をスタートして大石小にゴールする6コースに、中学生を中心に合わせて500人ほどが参加。各コースに一カ所名所の解説係 (お寺の住職さんやボランティアの方) を配置して、地元の歴史にむ親しんでもらうという催しです。道すがら、ごみをひろって歩くので「地域巡り」というわけです。
私は八合神社を通るBコースに振り分けられ、8時40分頃出発。9時20分頃に八合神社に到着し、前区長・民生委員の佐々木氏から神社の由緒などについてお話を伺いました。(佐々木氏の資料を少し整理してご紹介いたします。)
ここに八合神社の前身となる神社が現在の三井住宅の一画から遷座したのは慶応3年 (1867) です。明治6年(1873) に村社となりますが、ここは小泉でもっとも標高が高い (海抜18.1m) ところだそうです。当時小泉村の住人はわずかに67戸、現在の泉台区域にはわずかに6戸だけだったようです。大石村ができたのは明治22年 (1889) で、小泉 (三井・泉台を含む)、中分 (下芝を含む)、井戸木、中妻、沖ノ上 (現在の浅間台)、弁財、小敷谷、領家、藤波、畔吉の10ヶ村が合併して誕生しました。
明治39年 (1906) に神社合祀の勅令が出され、その後上記旧10ヶ村で神社合祀 (統合) の協議がありましたが、格式があると思われていた藤波の天神社と畔吉の諏訪神社は協議から抜けたそうです。
結局、明治42年 (1910) に8地区39社をここに合祀し八合神社ができました。祭神は素戔嗚尊、大雷神、菅原道真朝臣をはじめ64柱にものぼるそうで、こんなに祭神が多いのは珍しいそうです。
たいへん興味深いお話を伺いました。
(大石中に集合)